近年、日本中で「半導体」という言葉を耳にする機会が増えました。特に、熊本県に建設されたTSMC(台湾積体電路製造)の工場は、大きな話題となっています。この工場は一体何で、なぜこれほど注目されているのでしょうか? 半導体業界の初心者の方にも分かりやすく解説します。
TSMCとは?なぜ「工場」がここまで重要なのか
まず、TSMCとはどのような企業なのでしょうか? TSMCは、台湾に本社を置く世界最大の「ファウンドリ」企業です。
- ファウンドリとは?
- 半導体チップの**「製造」を専門に請け負う**企業のことです。
- 通常、半導体チップを作るには、その機能や性能を考える**「設計」と、設計図に基づいて実際にチップを作る「製造」**の2つの大きな工程があります。
- TSMCのようなファウンドリは、自社でチップのブランドを持たず、設計だけを行う「ファブレス」企業や、ソニーのような応用機器メーカーからの依頼を受けて製造に特化しています。
- インテルやサムスン電子のように、設計から製造までを自社で行う企業は「垂直統合型デバイスメーカー(IDM)」と呼ばれます。かつての日本の半導体メーカーの多くもこのIDMでした。
これまでの製造業では、企画・設計や販売・アフターサービスといった「川上」と「川下」の工程で付加価値が高く、製造という「中間工程」の価値は比較的低い「スマイルカーブ」という考え方が一般的でした。しかし、半導体業界ではこのスマイルカーブが当てはまりません。なぜなら、半導体製造には莫大な設備投資と高度な技術革新が常に求められ、その価値が極めて高いからです。そのため、製造を担うファウンドリの存在感が非常に大きくなっています。
TSMCが熊本に工場を建設した理由
TSMCが日本、特に熊本県菊陽町に大規模な工場(JASM: Japan Advanced Semiconductor Manufacturing)を建設することになったのには、いくつかの理由があります。
- 日本の政府による大規模な補助金
- 日本政府は、半導体の安定供給確保を目指し、TSMCの第1工場建設に最大4,760億円、第2工場建設にも7,500億円規模の補助金を支給する方針です。
- これは、半導体が経済安全保障上の重要物資と見なされる中、国内での生産基盤を強化したいという日本政府の強い意向を反映しています。
- 既存の日本企業との連携
- 熊本工場は、ソニーグループの半導体子会社であるソニーセミコンダクタソリューションズ(SSS)や、自動車部品メーカーのデンソーなどが出資する合弁会社として設立されました。
- 特に、2024年2月にはトヨタ自動車も出資に加わり、自動車向け半導体の生産も強化される予定です。
TSMCは最先端プロセスの開発と生産はあくまで台湾国内に維持しつつ、各国からの支援金を利用して、少し前の世代のプロセスを日本や欧州で行い、そのレベルを徐々に上げていくという戦略をとっていると考えられます。
TSMC熊本工場がもたらす影響
TSMC熊本工場の進出は、地域経済に大きな期待をもたらすと同時に、いくつかの課題も生じさせています。
- 経済効果
- 九州経済調査協会の推計によると、半導体関連投資による経済波及効果は、2021年から2030年の間に九州・沖縄・山口地域全体で23兆300億円に上るとされています。
- 特に熊本県への経済波及効果は13兆3,890億円と最も大きく、工場が立地する菊陽町周辺では「半導体バブル」とも呼ばれるほどの活況を呈しています。
- 地価高騰
- 菊陽町では、TSMC進出決定以降、地価が急上昇しています。2024年度基準宅地価格では、菊陽町は前回調査から26.6%も上昇し、県内で最大の上昇率を記録しました。
- 周辺の大津町や合志市でも地価が急上昇しており、マンションの売買平均価格も高騰しています。
- 人手不足と賃金上昇
- TSMC工場では数千人規模の雇用が見込まれており、特に高スキルなエンジニアや専門職の需要が急増しています。
- これにより、地元の中小企業から優秀な人材が流出し、採用難が深刻化しています。
- 半導体業界の給与水準が高いことから、熊本県全体の賃金競争が激化し、中小企業にとっては人件費の負担増という課題も生じています。
- 一方で、賃金上昇は労働者の生活水準向上や消費の活発化といったポジティブな影響も期待されています。
- インフラへの負荷
- 人口の急増により、交通渋滞が深刻化しています。
- 半導体製造には大量の水を使用するため、地域での水供給や地下水への影響も懸念されています。
日本の半導体産業再興への道のり
TSMCの熊本進出は、1980年代に世界市場を席巻した「日の丸半導体」が、1990年代以降に国際競争力を失っていった日本の半導体産業にとって、再起をかける重要な機会と位置づけられています。
日本政府は、TSMCへの補助金だけでなく、最先端半導体の量産を目指す日本の新会社「ラピダス」への巨額の公的支援(総額9,200億円超)や、半導体・AI分野に2030年度に向けて10兆円以上の規模の公的支援を行うことを表明するなど、日本の半導体産業を復活させるための戦略を進めています。
TSMC熊本工場は、単なる工場建設にとどまらず、グローバルな半導体サプライチェーンの再構築と、日本の産業構造変革を象徴する重要な拠点として、今後の動向が注目されています。